2018年以降、フランス国内では使用禁止となっていたネオニコチノイド系農薬であるアセタミプリドの条件付き使用再開を求めたDuplomb (デュプロン)法案。
2025年7月8日、下院である国民議会に於いて法案は一旦可決に至ったものの、2日後の7月10日、環境健康科学を専攻する若き女学生が始めた請願署名活動により、7月21日には法案の白紙撤回が決定。
9月の議会まで決議は見送られることとなりました。
その後も、国民による意見交換や反対活動は続き、撤回署名は7月28日の時点で210万を超える結果に。
これらの経緯を下に、憲法審議会による審議も行われ、刻一刻と新たな局面へ展開が繰り広げられています。
Duplomb法案を巡り、フランス国民が声高らかに立ち上がったネオニコチノイド系農薬問題。
多くの国民と法曹界の識者を交えた全員参加型の討論であるにも関わらず、法案が可決されてから僅か1か月の間で、透明性とスピード感のある白熱した議論が重ねられ、停滞することなく着実に前進しています。
若き一市民が行動を起こし、多くの国民が賛同の声を上げ、大きなうねりとなった、問題の背景について見ていきましょう。
目次
1. Duplomb法案論争
1.1 論点のおさらい
1.2 論争の経緯
2. 国民の怒りと反逆
2.1 健康と環境は誰のもの?
3. 憲法審議会による決議
3.1 憲法審議会の歴史
3.2 決議内容
4. NNIs論争の行方
4.1 EU諸国の対応
4.2 フランス保健省の対応
5. まとめ
1. Duplomb法案論争
Duplomb法案の主旨は、使用禁止の制限が課されているネオニコチノイド系農薬であるアセタミプリドの使用再開を許可すること。
上院及び下院に於いて、法案は一旦可決に至った後、国民による大きな反対意見を受け、白紙撤回となりました。大きく揺れ動く論争の終着点はどのようになるのでしょうか。
1.1 論点のおさらい
ネオニコチノイド系農薬は、昆虫の神経にあるニコチン性アセチルコリン受容体に結合することで昆虫の神経伝達系を遮断し殺虫作用をもたらす薬剤です。
また、浸透性・持続性にも優れており、農業者の作業効率化や農作物の収量を確保する目的で汎用されてきました。
他方、時代の経過と共に、当該農薬が使用されることで、ミツバチの大量死や他の益虫にも殺虫作用を及ぼすことが判明。また、その浸透性・移行性の高さから土壌や水質汚染への拡大、蓄積性によって野生植物や穀物への影響が懸念されています。
更には、ヒトに対しても同様に、胎児や乳幼児・妊産婦を中心として、脳高次機能発達への毒性や脳神経発達に影響を及ぼす内分泌系に対する毒性が示唆されるようになってきました。
これらの研究結果を受けて、EU欧州連合では、ネオニコチノイド系農薬は原則使用禁止、残留農薬基準値を検出下限値まで引き下げることが盛り込まれた規制が課されてきた一方で、アセタミプリドの使用は2033年までの条件付きで使用継続許可が2023年に下りました。
これに応じて、フランスでもアセタミプリドの規制緩和を求める法案が可決されようとした矢先に、健康と環境への悪影響を懸念し、国民からは「Non」と突き返されることに。
1.2 論争の経緯
アセタミプリドの使用に関して、フランスでは、2018年以降使用禁止を継続していたものの、農業者であり上院議員であるローラン・デュプロン氏及びフランク・ムノンヴィーユ氏他、複数のフランス共和党会派と中道連合の議員らによって、フランスでも他の欧州連合国と同様に条件付きで使用再開を求める法案が2024年11月1日に提出されました。
上院である元老院では法案が通過し、下院である国民議会でも、2025年7月8日に賛成316、反対223、棄権25の結果、可決に至りました。
他方、フランス国民議会は、法案に広く民意を反映させるべく、請願のためのプラットフォームを設けており、Duplomb法案が可決された僅か2日後に、国民から法案白紙撤回を求める請願が申請され、1週間余りの短期間で、白紙撤回への効力を発する50万以上の署名を遥かに超える150万件をフランス全土から集め、その数は、3週間余りで210万件を超える程にまで膨れ上がりました。
2. 国民の怒りと反逆
法案撤回にこぎ着けた、フランス国民の怒りの抗議の内容とは?その根源を探ってみましょう。
2.1 健康と環境は誰のもの?
2025年7月10日、白紙撤回を請願した環境健康科学研究科の修士課程に所属する学生による請願内容の概要は以下の通りです。
第一の告発として、Duplomb法案は、公衆衛生・気候変動政策・食の安全・善意と相反し、科学的・倫理的・健康及び環境衛生の観点から許容されるべき内容ではないと断言。
また、当法案は、労働者・地域住民・生態系・生態系サービス・人権すべての領域にわたり害悪を及ぼし得るものであるとも訴えています。
更には、私たちの身体は食物によって形成されており、私たちの未来は毒性物質によって形成されるのであろうかと危惧し揶揄する声。
フランス第5共和制憲法に於いて、殊に環境に関わる条文では、「国民は各々、分け与えられた平等な環境と健全に生きる権利を有する」ことが明記されていることに触れ、Duplomb法案は、憲法に反することを理由に白紙撤回を請願しました。
結語として、「単独で請願文を記入しているが、一人の意見ではない」ことも明記。
結果として、3週間余りで、フランス全土から210万以上もの署名を獲得するに至りました。
3. 憲法審議会による決議
白熱した議論に対し、客観的に法的見地から意見を述べるエキスパート集団はどのような歴史を有し、どのように構成されているのでしょうか。
3.1 憲法審議会の歴史
憲法審議会は、法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法に係る改正の発議又は法律案等を審査する機関であり、1958年10月4日にフランス第5共和制憲法下に於いて創設されました。
構成員は、大統領及び上外院双方の代表者らから任命された法曹界内外の有力識者9名から成り、在位期間は9年間です。3年ごとに1/3が改選されます。
3.2 決議内容
2025年8月7日、憲法審議会は、Duplomb法案に対し、ネオニコチノイド系農薬の使用禁止規制下に於ける該当農薬の使用許可は、環境法上違憲であるとの決議を発表しました。
また、根拠の1つとして、国民が提出した請願文中の文言同様、環境法第1条に記載された「国民は各々、分け与えられた平等な環境と健全に生きる権利を有する」を挙げています。
4. NNIs論争の行方
欧州連合の対応の中でも、他国と一線を画し、ネオニコチノイド系農薬(略称 NNIs,neonics) 使用に対し「NON」と言い続け譲らないフランス国民。
ネオニコチノイド系農薬の有害性を指摘しながらも、中立の立場を歩むEU各国とフランス健康省の見解も探確認してみましょう。
4.1 EU諸国の対応
EU欧州連合が最初にネオニコチノイド系農薬を登録許可したのは2005年。
2013年にEU圏内で農作物を保護する目的で使用が認められたネオニコチノイド系農薬は、クロチアニジン、チアメトキサム、イミダクロプリド、チアクロプリド、アセタミプリドを主成分とする5種。
生態系やヒトへの影響を考慮し、残留農薬基準値を厳格に設定して運用する中、ミツバチの大量死滅の事態を経て、EFSA欧州食品安全機関は、クロチアニジン、イミダクロプリド、チアメトキサムの3種に対し、ミツバチが花粉媒介を行う農作物及びハウス栽培以外での使用を制限。
経年的にリスクアセスメントのモニタリングが進められる中、2018年5月30日には、上記3成分を含むネオニコチノイド系農薬の使用は、ハウス栽培の例外を除き、EU圏内に於いて、全面的に禁止となりました。更に、2019年には農薬登録も解除。
残るチアクロプリドも2020年2月3日をもって農薬登録解除となる一方で、ネオニコチノイド系農薬の最後の砦となるアセタミプリドに関しては、EFSAによる研究調査の結果、ミツバチへの影響は低いという見解の下、2033年まで使用許諾が順延されました。
4.2 フランス保健省の対応
医師としてのキャリアを有し、保健省の大臣でもあるヤニック・ヌデール氏は、安全性を検討の上、EU諸国で使用が許可されているアセタミプリドをフランス国内に於いても使用再開を促す動きがあるのは極自然な流れであるとの見解を示しています。
同様に、医師らの見解として、ネオニコチノイド系農薬の一種であるアセタミプリドの有害性に対して懸念を表明することに関しても理解を示しています。
同氏は、EU諸国との政治・経済・健康及び環境への影響のバランスを最重要視した中立の立場を保持しつつ、憲法審議会の決議を支持。
5. まとめ
EU諸国と足並みを揃える動きを見せるアセタミプリミド使用緩和。
法制に於ける権威の動きに対して、反対派である国民や農業者は今後どのようなアクションを起こして行くのでしょうか。
フランスでは、白熱した議論はまだまだ続きそうな様相を呈しています。
他方日本では、現行、7つのネオニコチノイド系の主成分を含む農薬が使用されており、残留農薬基準値もEUとは桁違いに緩やかな基準値が設けられていますが、国民が声高らかに問題を提起し議論する動きは見られません。
ネオニコチノイド系農薬は、ミツバチの大量死をきっかけにして大きく問題視され始めた経緯を持つため、国内では、養蜂業が盛んな欧州に於いて、“ミツバチの保護のみ”を目的とし、“ 私たちの生活とは特段関係がない” 政策として捉える向きがあるように感じられます。
生態系の破壊による影響は、日常生活ですぐに実感できるものではなくとも、私たちのQOLや生命そのものに着実に影響を及ぼす可能性を秘めています。
少子化問題への懸念や次世代へ大きな期待を寄せている一方で、胎児期・乳幼児期・周産期の脳発達神経や内分泌系への攪乱作用が懸念されているネオニコチノイド系農薬に対する議論が盛んではない事実は不可解ではないでしょうか。
今回のフランスに於ける国民と立法機関の議論を通して、日本国憲法の前文にある「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」ことが大義名分ではなく、執行されていることを実感します。
諸外国での議論を通して、私たちが暮らしている環境を今一度振り返ってみる機会となれば幸いです。
【参考URL】
Vie publique | République Française
https://www.vie-publique.fr/
Pétitions Assemblée Nationale
https://petitions.assemblee-nationale.fr/initiatives/i-3014
Le Conseil Constitutionnel
https://www.conseil-constitutionnel.fr/
European Commission
https://commission.europa.eu/
EFSA
https://www.efsa.europa.eu/en
France Info
https://www.franceinfo.fr/
Le Télégramme
https://www.letelegramme.fr/
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