前編では、ゲノム編集技術応用食品の概要と当該技術が健康と環境に与えるインパクトについて現状を概観し、検討を行いました。
遺伝子組み換え生物等、バイオテクノロジーにより改変された生物は、生物多様性の保全や持続可能な利用に悪影響を及ぼす可能性を有するとして、国際条約で規制が設けられています。
一方、ゲノム編集食品に関しては、遺伝子組み換え食品ではなく、品種改良の一種であり、規制の対象外であり、安全性に問題は無いとの論調が目立ちます。果たして、本当にそうなのでしょうか。
また、ゲノム編集技術応用食品全般に対して、アニマル・ウェルフェアの観点からも考察してみる必要がありそうです。
殊に、ゲノム編集技術が用いられる農業や農産物は、気候変動対策や減農薬、更には、来るべき食糧難にも有効とのプロパガンダが往々にして繰り広げられています。
一部のグローバル企業や国々だけに有利に働くゲノム編集技術ではなく、私たちが共に暮らす豊かな地球で、生態系を維持し、科学技術も上手く取り入れながら、公平に分け合い、持続可能な方向へ舵取りが可能な方策について検討してみましょう。
目次
【後編】
3. バイオセキュリティと倫理
3.1 リオ宣言と生物多様性条約
3.1.1 カルタヘナ議定書
3.1.2 消費者の安全と知る権利
3.2 アニマル・ウェルフェア
4. 環境汚染と健康課題の克服
4.1 アグロエコロジーで克服!
4.2 エレメンツ10 (主要素)
[後編小括]
5. まとめ(総括)
3. バイオセキュリティと倫理
豊かな土壌と水、農作物や畜産物に降り注ぐ陽光、時に雷や風を伴う雨をその身に受け、農業に携わる方々の知恵と適度な介入を受けながら、農畜産物は形成され、彩りと味わいに満ちた滋養を私たちの食卓へ運んでくれます。
昨今では、科学技術の進展と共に、自然と共に歩んできた農業者の方々によって育まれた農作物の他に、企業の莫大な費用で賄われる研究室内で開発された農畜産水産物の市場への参入が始まっています。
科学技術の進歩に伴った生態系へのネガティブな影響を回避するため、1970年代から世界各国の政府間交渉会議や条約の締結も同時に進められてきました。
遺伝子組み換え食品やゲノム編集食品の登場によって、再度岐路に立たされている食の安全と生物多様性に富む地球環境。
私たち生物の命を育む生物多様性を守る国際的な仕組みと、私たちと同様に命を与えられている動植物が育まれる環境について、課題と克服方法について考えてみましょう。
3.1 リオ宣言と生物多様性条約
生態系の一員として生存している私たち人類が、パートナーとして共に生物多様性を包括的に保全し、生物資源の持続可能な利用を推進するための国際的枠組みを設ける必要性に同意し、1992年6月3日から14日にかけてブラジル第2の都市リオデジャネイロ開催された国連環境開発会議、通称地球サミットで宣言された合意が「リオ宣言」であり、27の原則から構成されています。
その翌年、1993年12月に「生物の多様性に関する条約:Convention on Biological Diversity(CBD)」は発効されました。2025年3月現在、194か国、EU(欧州連合)及びパレスチナが締結していますが、米国は非締約国です。
リオ宣言の第1原則には「人類は、持続可能な開発への関心の中心にあり、自然と調和しつつ健康で生産的な生活を送る資格を有する」ことが明文化されています。
続く第2原則では、「地域の環境に損害を与えないようにする責任を有する」ことが明記され、第3原則においては、「現在及び将来の世代の開発及び環境上の必要性を公平に充たすことができるよう行使すべき」と次世代への配慮も示されています。
第5・第6原則に於いては、「世界の大部分の人々の必要性をより良く充たすため、持続可能な開発に必要不可欠なものとして、貧困の撲滅という重要な課題において協力すべき」こと、「最貧国及び環境の影響を最も受け易い国の特別な状況及び必要性に対して、特別の優先度が与えられなければならず、環境と開発における国際的行動は、全ての国の利益と必要性にも取り組むべきである」と自国の利益だけではなく、地球規模で考え配慮すべきことが示されています。
第25原則に於いては、当該宣言の総括文とも言える「平和、開発及び環境保全は、相互依存的であり、切り離すことはできない」ことが明文化されています。
3.1.1 カルタヘナ議定書
カルタヘナ議定書の正式名称は「生物の多様性に関する条約のバイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」
であり、1993年12月に発効された「生物の多様性に関する条約:Convention on Biological Diversity(CBD)」第19条3に基づく交渉に於いて、環境及び開発に関するリオ宣言の第15原則に規定する「予防的な取組方法」を再確認の上、作成されました。
その後、2000年1月にモントリオールで開催された生物多様性条約特別締約国会議再開会合において議定書は採択され、2003年6月13日には締結国の数が50か国に達し、同年9月11日に議定書の発効に至っており、日本国は、同年11月21日に議定書を締結し、翌2004年2月19日に発効。
2023年4月現在、171か国及びEU(欧州連合)、パレスチナが締結。米国は非締約国です。
カルタヘナ議定書上に於いて、生物の多様性の保全及び持続可能な利用に及ぼす可能性のある悪影響を防止することを目的として、遺伝子組換え生物等「バイオテクノロジーにより改変された生物」に対する措置に関し、輸出入の申請・許可の手順を中心とした内容で盛り込まれています。
近年、バイオテクノロジーの刷新スピードは目まぐるしく、また、多くのバイオテクノロジー企業を有する米国非締約による各国への影響も検討し、現状に沿った法改正に向け、締結国間の新たな交渉が待たれるところです。
3.1.2 消費者の安全と知る権利
リオ宣言の第10原則に於いて、「各国は、情報を広く行き渡らせることにより、国民の啓発と参加を促進しかつ奨励しなくてはならない。賠償、救済を含む司法及び行政手続きへの効果的なアクセスが与えられなければならない」と自国民に対し、透明性のある啓発活動が義務付けられていいます。
とある著名な分子遺伝学者は「ゲノム編集は、DNAに大きな欠失、挿入、再配列を引き起こし、オフターゲットやオンターゲットの部位にある複数の遺伝子の機能に影響を与える可能性がある」ことを指摘しています。
また、私たち日本人の主食であるお米に関しては、「CRISPRを用いたイネのゲノム編集では、もしれない」と警告。
さらに、「意図した編集部位だけでなく、ゲノム上の広範な領域で、意図しないさまざまな変異が生じる」ことが研究によって明らかにされており、「イネでは期待したほど正確ではないかCRISPR/Cas9作物を研究室から圃場に移す前に、早期に正確な分子特性評価とスクリーニングを何世代にもわたって行う必要がある」と指摘しています。
ゲノム編集を含む遺伝子操作技術に関して、果たして私たちは、透明性が担保された情報を享受できていると言えるのでしょうか。
3.2 アニマル・ウェルフェア
ゲノム編集に於いては、人間の意向に沿って、人間の直性介入による生物の遺伝子操作が行われ、商品化されています。
遺伝子操作によって作られた農畜水産物に関して、動物福祉や動物の健康の側面からも私たちが望む食料品となり得るのか、検討してみましょう。
筋肉の成長を抑制するミオスタチンというタンパク質をCRISPR/Cas9を用いて破壊し、異常に発達した筋肉を形成させることで、人間の可食部を拡大することを目的に筋肉量アップ畜産水産物が開発されています。
欧州に於いては畜産物に、国内に於いては水産物に当該技術は応用され、市場展開も始まっています。
ゲノム編集によって開発された畜産物に於いては、難産発生率が高く、帝王切開に至るケースも高頻度であり、出産時の合併症や短命化の傾向が指摘されています。
水産物に於いても同様に、成長過程に於ける不具合が発生している可能性が示唆されます。
4. 環境汚染と健康課題の克服
気候変動や世界人口増加に伴う将来的な食糧難に対抗するための方策として、ゲノム編集技術応用食品が救いとなるかのようなプロパガンダが横行していますが、これらの技術を生態系に取り入れることで、逆に、負のスパイラルが発生し、環境汚染が加速することが予測されます。
環境汚染や私たち人類を含む動植物の健康課題を克服できる術は他に存在しないのでしょうか。
実際には、私たちの先人が長らく営んできた伝統的農法の中に、これらの課題を軽減し、世界中で英知を共有可能な鍵となる方法が存在しています。
有機農法をベースとしたアグロエコロジーについて見ていきましょう。
4.1 アグロエコロジーで克服!
アグロエコロジー(Agroecology)とは、生態学的農業と訳され、農業生産と自然資源の再生産を結び合わせることを目的とした農法です。
アグロエコロジーという表現は、1920代末に使用し始め、1970年代に実質的に再登場し、アメリカ大陸を中心に学術研究として発展してきた歴史を有しています。
カリフォルニア大学バークレイ校環境科学政策経営学部のミゲル・アルティエリ教授によるアグロエコロジーの定義では、「生態学的に健全な管理技術の使用により持続可能な収量の確保を試みるアプローチであり、その戦略は生態学的概念に基づき、その管理形態は栄養分と有機物の最適なリサイクル、有害生物との均衡、景観の多面的利用の拡大に至る」と明確化。
こちらの定義によれば、アグロエコロジーとは、日本の伝統農法である里山農法に該当するものであり、日本は世界的な農業遺産を抱えた国であると共に、世界の課題を解決へ導くことが可能なリーダーシップを発揮すべき国であると言えます。
4.2 エレメンツ10 (主要素)
アグロエコロジーの基盤を形成する以下の10大要素は圃場や牧場に大きな効用をもたらします。
1. Diversity
生物多様性の保全
2. Co-creation and sharing of knowledge
共創と知識の共有による平和的農業イノベーション力の向上
3. Synergies
フードシステム・農畜産物・生態系保全サービスの相乗効果を促進
4. Efficiency
小さな資源と投資から成果を産出する効率性
5. Recycling
リサイクルでゼロウェイストを達成
6. Resilience
人・環境・地域のレジリエンス力の向上
7. Human and social values
人と社会の価値創造
8. Culture and food traditions
食と文化の伝承による健全で持続可能な社会と人の形成
9. Responsible governance
責任あるガバナンス
10. Circular and solidarity economy
循環と連帯による経済の達成
これらの10大要素が健全に執行され、相互的に作用し、循環することで、健全な圃場や牧場が担保され、持続可能な農畜産物を育み、豊かな景観で私たちに癒しの効果という恵みも与えてくれます。
理想に留まらず、実践し、これらを達成するためには、ローカル活動がグローバルな領域で共有され、修正を試みながら継続することが大切です。
[後編小括]
“機能性食品”という表現自体、現在の医薬品に着想を得て開発されたものであるように感じられます。自然に育まれる食材があたかもサプリメントのような取り扱いになっていることに違和感を覚えないでしょうか。
かつて東アジアを中心に大切に育まれてきた医食同源の思想。昨今の食に対する在り方は、文字通りの解釈では、現代版の“医食同源”でもあるのかもしれませんが、本来の意味合いからは大きくかけ離れたものとなっています。
人工で作られたものに取り囲まれ、自然との距離が遠くなり、進むスピードも速すぎて、本当に大切なものが見えなくなっているのかもしれません。
5. まとめ(総括)
現在、ゲノム編集食品は遺伝子組み換え食品とは異なる技術が用いられており、品種改良の一種、すなわち、安全であると言う論調が主流となっている現在の日本。
CRISPR-Cas9を用いたゲノム編集技術は、比較的単純な技術で応用力が高く、スピーディかつ従来の技術と比較し廉価、大きな収益源となり得ることを背景として、商用としての利用価値が高いと考えられており、世界では、特許紛争が繰り広げられています。
長い年月を経て、不都合な変異を排除しながら完成へ至る品種改良と比較し、スピーディに開発可能なゲノム編集プロセスで、どのように安全性を証明することが可能であり、“安全である”と主張しているのでしょうか。
他方、有機栽培のための農耕地拡大や助成金制度、オーガニック食材を推進する声を耳にする機会は限定的です。
産業革命以降、科学技術の高速な刷新と隆盛により経済は著しい成長を遂げ、私たちの生活に便利さと快適さをもたらした反面、急速な気候変動も招いています。
実感しやすい目の前の利便性や短期間で得られる膨大な収益性と引き換えに、私たちの生命を育み、活動拠点となる自然と生体環境の健全な状態を失いつつある現実に、今、直面しているのかもしれません。
私たちの体をつくる食材とそれらを育む環境について、今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。
【参考URL・資料】
「ゲノム編集−神話と現実 煙幕の中のガイドブック」GENE EDITING – Myths and Reality: A guide through the smokescreen
The Greens/EFA
クレア·ロビンソン (Claire Robinson, MPhil) 著
OKシードプロジェクト
印鑰 智哉 訳
アニマルライツセンター
https://www.hopeforanimals.org/
外務省
https://www.mofa.go.jp/
FAO
https://www.fao.org/agroecology/overview/our-work/en/
「フランスのアグロエコロジー転換戦略」
仏経済社会環境審議会答申
清水卓 訳
Avis du Conseil économique, social et environnemental
La Transition Agroécologique : Défis et Enjeux